久保建英の小学校やチーム、留学についてワールドカップで盛り上がっている今だからこそおさらいしておきたいですね!
サッカーワールドカップ日本代表の「タケ・クボ」こと久保建英の軌跡を紹介します。
久保建英は小学校のチームではどのような才覚をみせていたのでしょうか。
中学高校と人とは違う道のりを歩んできた久保建英のすごさに迫ります!
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久保建英の小学校はどこでチームは?留学したのはいつ?
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久保建英の小学校は神奈川県にある「川崎市立西生田小学校」です。
久保建英が小学校1~2年の間所属したチームは「FCパーシモン」で、当時の監督は幼いながらもその才覚に驚かされたそうです。
「こっちがサッカーを勉強しないといけない」と思うほどプレーや技術に対して質問をしていたそう。
ドリブルが上手く、その理由を尋ねると「相手の重心」まで考えていると答えたほどだったとか。
そんな久保建英は小学校3年の時に川崎フロンターレの下部組織に入りました。
その時点で才能がうかがえるものですが、久保建英はたった10歳で留学しバルセロナへ行ったんです!
バルセロナ時代の画像がこちらです!
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かわいいですね~!
2011年8月、FCバルセロナの育成組織であるカンテラに入り、サッカーを学びました。
小学生の頃からそこで学んでいたのなら、スペイン語とカタルーニャ語が堪能なのも納得です。
日本にいるか、スペインにいるかでどちらの言語も使い分けられ、本人曰く「どっちも達人の域に達している」といいます。
久保建英は小学校時代からトップチームでプレーし、6年生になる年齢には監督やコーチからプロ入りするだろうと言われていたそうです。
今の「タケ・クボ」を見れば納得の経歴ですね!
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久保建英の中学はどこ?画像はある?
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久保建英の中学は川崎市麻生区にある「川崎市立西生田中学校」です。
久保建英が西生田中学校に通っていたのは2015年からでした。
2015年3月に日本に帰るまでFCバルセロナのカンテラに所属しており、2~3年を西生田中学校に在学したんですね。
帰国後の久保建英は東京FCの下部組織に所属しました。
久保建英は中学でも運動神経の良さを発揮していましたが、特別扱いされることは嫌ったそうです。
人気者で人の中心にいるような存在でも、傲慢にはならず当時の先生もその人柄を褒めています。
勉強にも一生懸命取り組み、礼儀正しい生徒でした。
そんな謙虚な姿勢が実力を付けるのに大切なのでしょうね。
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久保建英は、現在メジャーリーグで活躍中の大谷翔平とも縁がありました。
小学生の時から久保建英のパーソナルトレーナーを務めた中西哲生が、大谷翔平を始めて二刀流で起用した栗山英樹監督とよく話をしていたそうです。
栗山英樹監督の大谷翔平への向き合い方をヒントに、トレーナーとして久保建英のやりたいことを優先させました。
久保建英の好奇心やチャレンジ精神を大切に育ててくれたんですね。
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久保建英の高校は和光?画像はある?
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久保建英の高校は和光高校という情報があるようです。
実際はどうなのでしょうか?
久保建英は西生田中学から東京都内の全日制高校へ推薦で進学しました。
サッカーのために学校へ行けない事があるため、理解がありフォロー体制のある高校を選んだのです。
高校1年当時の画像があります。
先ほど紹介したパーソナルトレーナーとのツーショットです。
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でも、16歳でプロ入りすると練習か学校かどちらかしか選べないという問題が出てきます。
そこで、チームや両親としっかり考えて通信制の高校に転校しました。
このとき、1つ年上の平川怜選手も同じ高校に転校しています。
久保建英が通ったといわれている「和光高校」には、ミスチルの桜井和寿の息子である櫻井海音が通っていました。
2人は友人なので高校で知り合ったとも考えられます。
ただ、現在はミュージシャンの櫻井海音もサッカー経験者で、フットサルの日本代表に選ばれたこともありました。
そうなると、サッカーで知り合った可能性もありますね。
久保建英の高校が和光だったと確定する情報は今のところありません。
では、転校先の通信制高校はどこだったのでしょうか。
ネットでは「第一学院」だといわれているため、調べてみました!
すると、第一学院のHPに久保建英が卒業生であることが記載されていました。
久保建英が卒業した高校は「第一学院高等学校」で間違いありませんね!
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久保建英の幼稚園と幼少期のエピソード!
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久保建英の幼稚園は川崎市麻生区にある「風の谷幼稚園」です。
そして3歳からサッカーを始めた久保建英は「百合丘子どもサッカークラブ」に入っていました。
久保建英は幼稚園時代から小学1年生、2年生に交じってプレーをしていたのだとか。
幼少期からサッカーの才能が現れていたんでしょうね~
ただ、久保建英の実力は才能だけによるものではありません。
高校からサッカーをしていた父親と、毎朝幼稚園に行く前に練習をしていました。
そして、父親に肩車されて登園していたんです。
その幼稚園ではジャガイモ掘りの行事があり、ジャガイモ11.4㎏を詰めたリュックを背負って坂道を40分歩いたというエピソードがあります。
当時の園長は「芯が強い子。意志の強さと耐える力を持っていた」と語っています。
その芯の強さがあってこそ、今の久保建英に繋がるのでしょうね。
子供の頃は嫌いだった魚も体を作るために今は克服しています。
幼少期は合宿での食事で、コーチが見てない隙に他の子の皿に魚を入れていたくらいには嫌いだったようです。
久保建英には、才能と父親のサポートと本人の意志の強さが揃ったことで強い選手に育ったのでしょうね。
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久保建英の小学校のチームはどこで幼稚園は?中学高校と留学について【まとめ】
久保建英の小学校とチーム、幼稚園や中学高校について紹介してきました。
知れば知るほど魅力的な選手です。
小学生でバルセロナに所属してから、ずっと応援し続けているファンは多いのではないのでしょうか。
同世代の選手からも目標として意識される久保建英が、ワールドカップでも最高のプレーを魅せてくれることを期待したいですね!